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    ぺんぎんCINEMA<墨攻(A BATTLE OF WITS)>

    • 2011.01.09 Sunday
    • 23:06
    映画だから、「ぺんぎんCINEMA」のカテに分類するけど、
    この記事は、先日から続いている、
    『墨攻』4作品比較検証」
    の宿題レポートの続編(「墨攻 4」)である。

    以下、ネタバレ注意



    『墨攻(A BATTLE OF WITS)』

    監督:ジェイコブ・チャン
    撮影監督:阪本善尚
    編集:エリック・コン
    アクション監督:スティーブン・トン・ワイ
    音楽:川井憲次
    出演:
    革離:アンディ・ラウ
    巷淹中:アン・ソンギ
    梁王:ワン・チーウェン
    逸悦:ファン・ビンビン
    子団:ウー・チーロン
    梁適:チェ・シウォン
    製作国:中国・日本・香港・韓国
    上映時間:133分
    2006年(日本公開は2007年)

    【あらすじ】

    紀元前370年頃、巷淹中(アン・ソンギ)率いる趙の10万の大軍が、
    住民わずか4千人の梁城に攻め入ろうとしていた。
    梁王(ワン・チーウェン)が降伏しようとしたまさにその時、
    救援を請うていた墨家の革離(アンディ・ラウ)という男が、
    たった1人で城に到着する。
    彼は1本の矢で趙軍の先遣隊を退け、この城を守ると言うのだが・・・。

              ☆      ☆      ☆

    このブログは、基本的に「褒めブログ」である。
    というより、
    わざわざキライなもの、つまらなかったもの、
    を批判するために割く時間は、あたしにはないから、
    概ね、好きなもの、楽しかったことについて書いている。

    しかし、『墨攻』の小説、コミック、映画の作品比較、
    というテーマを選んで、
    俎板の上にのせてしまったからには、
    正直に思ったことを書くし、
    この映画については、
    たぶん、ギタギタに切り刻むことになちゃうのは、許してほしい。

    あくまでも個人的な感想で、
    「えー、オレは面白かったよ?!」
    という人の趣味や感性を否定する気は全くないから、ごめんね。

    あたしも、これを先に観てたら、
    普通に楽しめたかもしれないんだけど、
    他の3作品を読んでからだったんで、
    どうしても一段落ちる感じは否めない。

    特に、山本甲士『墨攻 映画ノベライズ版』
    読んだばかりだったから、
    「この小説が映画の内容をほぼ引き写して書かれたものなら、
    どんだけ面白いんだよっ!?
    映像化されたものを是非、観てみたい」

    と、ものすごく大きな期待を胸に、
    レンタルショップからスキップで帰ってきたほどであるゆえ、
    その失望は、さらに大きかったのである。
    しょぼーん。

    原作を映像化なり漫画化なりノベライズする場合は、
    もちろん、
    「面白い」「素晴らしい素材だ」
    と思うから、取り上げるわけで、
    そこには、原作に対する敬意や愛情や理解と、
    改変にあたっての
    「こうすれば、さらに良くなる」
    あるいは
    「良いものにしたい」
    という作り手の確信や願いがあるはずだ。

    森秀樹のコミックと、山本甲士の小説には、それが感じられたが、
    この映画の場合は、
    構想の最初にはあったであろう、その思いが、
    『商業映画の論理』
    に負けまくってしまった結果、
    「なんだか、とんでもないことになっちゃってるよー!」
    という印象であった。

    最も、大きな違いは、「テーマ」である。

    この映画の主題は「反戦」なのだ。
    ことさらに戦闘シーンの残虐さを強調し、
    勝利のカタルシスがこれっぽちもなく、
    革離は、戦いによって、敵を殺すこと、人民の犠牲に悩み惑う。

    なんなの、これは!?

    この物語に、
    偽善的な「反戦」や、
    ハリウッド風の「人道主義」
    なんか、必要ねーよ!


    「非攻」「反戦」は違う。

    原作は、
    謎の多い墨家という思想集団を、
    「よく城を守った」
    という史実のみを頼りに、豊かな想像力を駆使して、
    大国の侵略から小城を守ることに特化した技術を磨いていった
    傭兵のような結社として描いたものである。

    宗教家として以上に、
    土木工事や社会事業に携わった空海(弘法大師)や行基
    キリスト教伝来の例をひもとくまでもなく、
    古来から、宗教(思想)家というのは、
    優れた技術者あるいは技術の伝播者であった。
    民衆がその教えを信じるまでには、
    何らかの現世的利益や、
    「奇跡」と呼ばれるような一般人には出来ない行為、
    を見せることが必要である。
    尊敬、信頼、感謝、畏怖などがあって、初めて、人民は、
    その主義・思想に耳を傾け始める。

    多分、そのあたりのことを踏まえて、酒見さんは、
    墨家の(戦争における)技術的側面を描いていったのではないか、
    とあたしは思っていて、
    そこがとても面白かった。

    個々の城の防衛より、大国と結んで世の中を動かそうとする、
    墨家中枢の思惑に反して、
    「小さな城、弱い民草を守る」という「任」こそが、
    墨家の精神であると信じ、
    こちらから戦を仕掛けることはしないが、
    城に攻め入ってきた、あるいはまさに攻め入ろうとしている敵兵だけを、
    効果的に効率的に殺し、
    「この城は落ちない」
    とあきらめさせて、早期の終結を図り、
    結果として、味方も敵も最小限の人的犠牲でとどめて、平和を守る。

    それが、墨者・革離の信念であり、
    「非攻」をうたいながら、戦わねばならない矛盾さえ、
    全部呑み込んだうえで、
    愚直なまでに、
    その理想を貫き通す職人気質の男の物語が、
    『墨攻』なのだ。

    だから、革離は、悩んだり迷ったりしない。
    指揮官の迷いは、兵の犠牲を生み、
    いたずらに戦いを長引かせるだけだからだ。
    冷酷にも見える戦争職人、それが革離
    なんだと、あたしは思う。

    そして、映画が、
    あまりにも、民衆の視点をないがしろにしていることに、
    ショックを受けた。
    「反戦」を表に出すためには、仕方がなかったのだろうが、
    民衆は、国家の争いに巻き込まれ、
    無力で哀れで、ただ我が身を嘆き、
    そのうちの何名かは家族のために内通者となる。
    コミックやノベライズ版で描かれた、
    自分たちの城は自分たちで守る、という意志に目覚め、
    革離の指導の下、結束してそれぞれの役割を果たす、
    血が通い、心を持ったキャラクターとは正反対だ。

    「反戦」映画を作りたいなら、
    なにも、この『墨攻』の骨格を使う必要などなかったのに。
    はるか昔の中国の戦国時代の物語に、
    現代の価値観を持ち込んでどうするのだ?

    戦争がエンターテインメントで、どこが悪い?

    人々は、現代の戦争は否定しても、
    いにしえの戦争の中に、
    それぞれの理想や正義や信念のために戦った者たちの物語を、
    その優れた兵法や武術を、
    読み取ることまでは否定しない。
    『三国志』が、戦争を描いているからけしからん、
    とか誰が言うんだよー?
    (よーよーよー) ← こだま

    この映画を、ごく普通に、
    「たった一人の墨者が、数少ない兵や邑民と共に力をあわせ、
    何万という敵を相手に城を守る」

    という勇気と知恵と信念の物語に仕上げていたら、
    少ない予算で(それでも20億だけど)
    『レッド・クリフ』以上の映画になったのに。

    もったいない。もったいない。もったいない。

    監督や脚本家の枕元に、
    もったいないオバケの大軍を派遣したいよ。

    細かいことを言えば、
    必要のないキャラクターを登場させたり、設定を変えたり、
    大事な人物やエピソードを安易に削ってしまったことも、
    少しずつだが、確実に、作品の魅力をそいでしまっている。

    逸悦という女性は、
    映画版で登場したキャラクターだ。
    酒見賢一の原作も、
    この映画の直接の原作に当たるコミックも、
    あまりに女っ気がなさすぎるから、
    「ヒロインなしは、さすがにちょっと・・・」
    というのはわかるが、
    このヒロイン像がそれほど魅力的だとは思えないし、
    恋愛要素を入れることは、映画のお約束とはいえ、
    ラスト近くで、革離が彼女を捜し回るシーンなどは、
    本当にあんなに時間を費やす価値があったんだろうか?

    その代わりに削られてしまったエピソードの損失の方が、
    はるかに大きいと思うんだけどなあ・・・。

    「絶対ここははずしたらあかんやろっ!?」
    という、革離の流血(の誓い)シーンが、
    出てこなかったときは、ほんとに愕然とした。

    革離が自ら短刀で腕を少し切り、その血を滴らせて、
    「わが血を吸った地を、私は全力で守る」
    と宣言し、
    「そのためには自分の命令に従うように」
    と民衆を奮起させると共に秩序を言い聞かせる、
    全作品に共通する、前半屈指の名場面なのに!

    そして、この後、
    城の全員を兵士として組織し、
    男女別に、伍(5)、什(10)、伯(100)という戦闘単位に分け、
    それぞれに役割を与える。
    (これは間者が入り込むのを防ぐ効果もある)
    「ワシの側女は許してちょ♪」
    という色ボケ城主の願いもすっぱり断り、
    一切の例外がないことを示す。

    こうした、梁の兵や民の知らない数々の作戦を実行し、
    それが目の前で、効果的に敵を退けていくこと、
    身分にかかわらず、すべての兵を平等に扱うことで、
    革離は人心を掴み、それが一層の団結に繋がっていく。

    そういう伏線というか、準備段階が、
    映画ではあまりに説明不足だったり、省略されているために、
    戦闘シーンが全く面白くないし、すっきりしないのである。

    唯一、良かったオリジナル・エピソードは、
    梁適子団(酒見版・森版には出てこない)
    の弓勝負の場面。
    学問や武術に自信を持つ若君・梁適が、
    革離や子団に兵の指揮を任せるのを渋り、
    自分の方が能力が上であると過信しているのに対し、
    革離は、子団に本気の勝負を促す。
    周囲が「城主の息子だから」梁適を立ててきたことを、
    さりげなくわからせ、
    「もっと広い視野をお持ちなさい」と諭す。
    映像的にも、ストーリー的にも、良い演出であった。

    本当に、もったいない。

    アンディ・ラウも、アン・ソンギも、ワン・チーウェンも、
    個性的で魅力的な役者さんだし、
    CGじゃなく、大量のエキストラを投入した趙軍の動き、なども、
    映像として、とても迫力があり、音楽もいいし、
    変に「反戦」にこだわって、物語をねじ曲げたりせずに、
    ジョン・ウー作品みたいな、
    直球の痛快エンターテインメント
    にすればよかったのになあ・・・。

    次回は、いよいよ映画ノベライズ版について。

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